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伊勢 (戦艦) : ウィキペディア日本語版
伊勢 (戦艦)[いせ]


伊勢(いせ)は、大日本帝国海軍戦艦伊勢型戦艦の1番艦である。当初は扶桑型戦艦の3番艦として建造が予定されていたが、扶桑型に砲力や防御力、運用面等で問題点が生じたため再設計が行われ〔「伊勢(1)」pp.18〕、準同型艦の伊勢型の一番艦として建造された。太平洋戦争後半には戦術変更に伴って、姉妹艦の日向と共に後部主砲塔二基を撤去し、航空機用作業甲板、格納庫、射出機を設け、搭載機数22機という軽空母なみの航空打撃力を持つ航空戦艦へと改装された。
艦名の由来は三重県伊勢国からで、戦後海上自衛隊ひゅうが型護衛艦の2番艦「いせ」に引き継がれた。歴代艦長として山口多聞古賀峯一といった後の著名指揮官も輩出した。
== 艦歴 ==
海軍省は1914年(大正3年)10月12日に仮称艦名第五号戦艦を伊勢と命名〔大正3年10月12日付 海軍大臣達 第151号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070068000 で閲覧可能。〕し、1915年(大正4年)5月10日川崎重工業神戸造船所で起工〔#歴群26伊勢型94頁、「伊勢(2)」pp.19-20〕。1916年(大正5年)11月12日に進水する〔#歴群26伊勢型96頁、「軍艦伊勢進水式」p.2〕。1917年(大正6年)12月1日、「軍艦 伊勢」として就役した。
扶桑型戦艦の改良型として就役した伊勢型は、扶桑型の問題点の装甲防御の弱さを改正し、ようやく世界水準の性能に達したと言われる。だが本艦と同時期に15インチ砲(38cm砲)を採用したクイーン・エリザベス級戦艦が出現しており、建造前の1913年の時点で防御力の脆弱さを指摘されている〔「伊勢(1)」pp.20-21〕。また日本軍はクイーン・エリザベス級戦艦の速度を25ノット程度と認識しており、伊勢型の23ノットでは物足りないのが実情だった〔「伊勢(1)」p.23〕。1921年(大正10年)に主砲仰角角度を拡大する改造工事を行い、1924年(大正13年)に砲戦指揮場を設置するなど艦橋の複雑化が進む〔#歴群26伊勢型85-86頁〕。更に1935年(昭和10年)8月1日から、1937年(昭和12年)3月23日まで近代化改装が行われ、水平防御力や主機の出力向上と煙突の統合、注排水装置を増設、艦尾の7.3m延長、バルジ装着による水中防御力の強化などの改修が行われた〔#歴群26伊勢型86-87頁〕。これにより、排水量、装甲防御能力、速力、砲撃力等において、1945年に艦齢30年を迎える老艦ながら〔「艦船艦齢線表 昭和17年8月」p.2〕、戦艦としての総合能力では太平洋戦争開戦時でも世界標準を保っていた。反面、空母や巡洋艦などの他の艦艇に速力で劣る上に乗組員を多数必要とし、燃費も悪く、用途が見出せないことから、慢性的に燃料不足に悩んでいた日本海軍は本艦を海戦に投入する機会を見出せなかった。
1941年(昭和16年)12月8日の太平洋戦争大東亜戦争)開戦時、伊勢は第一艦隊第二戦隊に所属し、真珠湾攻撃を行った南雲機動部隊の損傷空母を収容するため、太平洋上に進出した。南雲機動部隊の奇襲は成功し、伊勢は予定を切り上げて12月13日に瀬戸内海に戻った〔#歴群26伊勢型162頁〕。1942年(昭和17年)2月、伊勢は波長1.5mの試作レーダーを装備、5月29日には日本を出撃してアリューシャン諸島方面に進出したが、アメリカ軍と交戦する機会はなかった〔#歴群26伊勢型162-163頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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